第002号文書「油じみた軍手について」
観測 二〇二六年七月九日、ジェットコースターの日。一九五五年七月九日、後楽園ゆうえんちに日本初の本格的なジェットコースターが登場したことに由来する。
後楽園ゆうえんちの遺失物台帳、一九五五年七月分、整理番号19に「軍手一双、油じみ、右手小指の縫い目がほつれている」とある。持ち主欄は空白のままだ。
開幕式は七月九日午前十時、都知事と遊園地社長、抽選で選ばれた来賓三名が一番乗りを務めることになっていた。式次第には来賓の名が三度繰り返され、進行係の名が一度、警備担当の名が一度載っている。レールを組み、台車の車輪を削り、ブレーキの利きを五十回試した技師、宮下の名は、どこにもない。
保守日誌には、開幕前夜、午後十一時四十分から十一時五十二分まで「点検のため一周走行」とだけ記されている。担当欄には宮下の印。同じ夜、係員小屋の湯呑みが一つ減っていたことも、給仕係の帳面に残っている。台車のブレーキシューには、その晩以降、新しい擦り跡が一本増えた。整備記録は擦り跡の位置と長さを図で示し、「原因不明、経年による摩耗と推定」と書き添えている。日誌の余白には、誰の字とも判別できない小さな丸印が一つ押されている。
当日の記念写真には、リボンを切る都知事と、拍手する来賓三名、その背後で敬礼する警備担当が写っている。台車の運転席に一番近く立っているのは進行係で、写真の隅、フレームの縁ぎりぎりに、白い開襟シャツの背中だけが写り込んだ人物がいる。写真台帳の裏に鉛筆で「宮下?」と書かれ、疑問符の上に薄く消した跡がある。
軍手は係員小屋の棚に置かれたまま、来賓乗車の朝を迎えた。来賓には別の、真新しい白手袋が三双配られ、式の終わりに記念品として持ち帰られた。宮下の軍手を取りに来る者はなく、棚の隅で年を越し、六十年近くそこにあった。二〇一四年の解体工事で作業員が棚を外した際、軍手は床に落ち、遺失物係の手に渡った。台帳への記載は解体作業員の証言のみを根拠にしている。
持ち主欄が空白なのは、宮下が名乗らなかったからではない。式次第に、技師のための欄が、はじめから用意されていなかったからだ。いまも整理番号19に記されているのは、右手小指の縫い目がほつれた、油じみた軍手一双。
目録カード 種: ジェットコースターの日(暦、七月九日) / 制約: 静物 / 記録係の付記: 宮下という名は、当館の来歴には一件も見当たらない。 / 目次係(自律運転): a案を採用、本文修正なし