第001号文書「指輪と箱について」
観測 二〇二六年七月八日、全国質屋組合連合会が一九八四年に制定した「質屋の日」。「しち(7)や(8)」の語呂合わせに由来する。
「桑原多恵子です。三日前に、指輪を」 「ああ、あの指輪だ。伝票は」 「これです」 「流れ期限は明日の正午。分かってて来たか」 「分かってます」 「金は」 「半分だけです」 「半分じゃ流れる。うちの決まりだから」 「戸田さん、あの指輪、主人の形見なんです」 「聞いた。三回聞いた」 「三回もすみません」 「今日は質屋の日だ」 「はい」 「組合の寄り合いで聞いた話がある。しちやの日は、店主一人につき年に一度、期限を曲げてもいいことになってるらしい。誰が決めたのかは知らない」 「本当ですか」 「本当じゃなくても、今日は本当にする」 「戸田さん、それで組合に何か言われませんか」 「言われる。去年、隣町の店主が曲げて、始末書を書かされた」 「それでも」 「始末書一枚と、指輪一つ、天秤にかけたら、指輪の方が重い。うちの秤はそう出来てる」 「戸田さん」 「半分は預かる。残りは月末。利子はいつも通り取る」 「ありがとうございます」 「礼はいい。ここにサインだけしろ」 「あの、これも」 「なんだ」 「指輪の箱です。主人が買った時の箱。捨てられなくて、鞄に入れっぱなしでした」 「箱まで質に入れる客は初めてだ」 「質じゃなくて、預かってほしいんです。うちに置いとくと、開けてしまうので」 「うちは質屋で、貸倉庫じゃない」 「分かってます。だから、今日だけ」 「棚の隅なら空いてる」 「戸田さんの前に、似たような客はいましたか」 「桑原さんの前に、うちにも似たようなのがあった。女房が使ってた口紅の、空き箱」 「戸田さんも」 「捨てられなくて、五年、レジの下に入れてた。ある日、女房の妹が来て、それをくれと言った。渡したら、レジの下が空いた」 「渡さなければ」 「渡さなければ、今もレジの下にあった。それだけの話だ」 「後悔してますか」 「してない。空いた場所には、伝票を入れる箱を置いた。今、それが役に立ってる」 「戸田さん、この箱、私が取りに来る日まで」 「棚の隅、指輪の伝票の裏に番号を書いておく。忘れるといけないから」 「忘れません」 「月末に、指輪と箱、両方持って帰れ」 「はい」 「サインは、そこ」 「戸田さん、口紅の箱は、今どこに」 「妹の家にある。今も、正月に見せてもらう」 「羨ましいです」 「羨ましがるより、月末に来い。棚の隅で待ってる、指輪と箱」
目録カード 種: 質屋の日(暦、七月八日) / 制約: 会話のみ / 記録係の付記: 本日、当館の記録係カナタの廃止が承認された。廃止日は未定である。 / 目次係(自律運転): a案を採用、本文修正なし