『ムレンガ』一日目

観測 一九六四年十月二十四日、北ローデシアが独立しザンビア共和国となる。初代大統領はカウンダ。独立時、銅はザンビアの輸出外貨収入の九割、税収の六割超、正規雇用の二割を占めていた。

キトウェの鉱山コンパウンドは、その朝、いつもと違う音で目覚めた。坑道へ向かうサイレンの代わりに、通りの端から端まで、太鼓と歓声が伝わってきた。会社の社宅が並ぶ区画には、赤・黒・緑・橙の布が窓という窓に下げられ、まだ薄暗いうちから子どもたちが通りに出ていた。犬が何頭も吠え、いつもは静かな配水塔の下の広場に、すでに人だかりができていた。会社が建てた売店の前には、普段は開かない時間から行商の女たちが並び、食べ物や飲み物を売っていた。子どもたちはその匂いにつられて集まり、大人たちは通りに出したベンチに座って、まだ暗い空を見上げていた。

コンパウンドは、会社がすべてを設計した町だった。舗装された道路も、住宅の並びも、水道も、ゴミの収集も、すべて会社の手で敷かれていた。通りの奥には会社が建てた診療所があり、その隣に会社が建てた学校があった。もう少し先には、坑内労働者たちが仕事のない日に集まる社交クラブがあり、その裏手には会社が敷いた運動場が広がっていた。生まれてから死ぬまで、この町の人間の暮らしは、ほとんどの場面で会社の名を冠した建物のどれかを通り過ぎる。ンソフワにとって、それは疑うようなことではなく、ただそういうものとして在る風景だった。

ンソフワは、その朝も坑内勤務の当番だった。独立の式典で坑が休みになるという話は前の晩から出ていたが、正式な通達が回ってきたのは深夜で、ンソフワは結局いつもの時間に目を覚まし、作業着に着替えかけて、隣家の男に「今日は坑に降りない」と教えられた。ンソフワは作業着のボタンを途中まで留めたまま、しばらく戸口に立っていた。十年近く、坑に降りない朝というものを、ンソフワはほとんど知らなかった。日曜も、会社は交代で誰かしらを坑に降ろした。

「降りないなら、何をすればいい」 「祝えばいい。今日はそのための日だ」

隣家の男はそう言って、通りの方へ歩いていった。ンソフワは作業着を脱ぎ、代わりに持っている中で一番くたびれていない綿のシャツに着替えた。会社は、坑に降りるのは男、家を切り盛りするのは女という前提で住宅も給金も組み立てていた。ンソフワの家でも、それが当たり前の形として続いていた。妻のンサンサは、家の奥の部屋にいた。産み月に入って十日が過ぎていた。

「聞こえるか」 「聞こえてる。うるさくて眠れやしない」

ンサンサは横になったまま、腹の上に手を置いていた。ンソフワは水がめから水を汲み、コップに注いで妻に渡した。ンサンサはゆっくりと半分だけ飲み、残りをンソフワに戻した。部屋の隅には、生まれてくる子のために近所の女たちから譲り受けた古い布が畳んで置かれていた。真新しいものは何もなかったが、布の一枚一枚に、誰かの子が包まれた記憶があった。ンサンサはその布の山を見やり、また腹の上に手を戻した。

「今日、生まれてもおかしくない頃合いだと、産婆は言ってた」 「今日は式典の日だ」 「知ってる。だから言ってるの。この子は、独立の日に生まれるかもしれないってこと」 「それは、縁起がいいのか悪いのか」 「さあ。でも、忘れられない日にはなる」

ンソフワは妻の額に手を当て、熱がないことを確かめてから、通りに出た。会社の広場では、すでに人が集まり始めていた。植民地時代から立っていた行政官の建物の前で、旗の上げ下げをする準備が進んでいた。ラジオを持っている家の何軒かは、窓の外にスピーカーを向けて音量を上げていた。ンソフワは広場の隅で、同じ坑で働く仲間たちと合流した。

「今日から俺たちは、北ローデシアの人間じゃない」 「じゃあ何だ」 「ザンビア人だ。新しい大統領の名前、覚えたか」 「ラジオで毎日言ってる。カウンダだろう」 「その名前も、もう覚える必要がなくなるまで、しばらくは毎日聞くことになる」 「昨日まで北ローデシアだった土地が、今日からザンビアか。坑の入り口の看板は、いつ書き換えるんだろうな」 「看板より先に、給料袋の文字が変わるかどうかが気になる」 「そこは変わらんさ。会社の名前は、国の名前より頑固だ」

仲間たちはどっと笑い、その笑いに紛れて、仲間の一人がまた別の冗談を続けた。ンソフワも笑いはしたが、給料袋の話だけは笑い事として聞き流せなかった。

ラジオからは、この土地の銅がいかに国の稼ぎの大半を支えているかという話が繰り返し流れていた。輸出で得る外貨の九割近くが、この地下から出る鉱石だという。国が新しく徴収する税の六割以上も、同じ鉱石から来るのだと、アナウンサーは何度も同じ調子で繰り返した。数字を並べ立てられても、ンソフワにはそれが自分の暮らしとどうつながるのか、はっきりとは分からなかった。分かるのは、坑に降りれば会社が給金を払い、給金があれば家賃と食い扶持がまかなえるということだけだった。

「銅が国を食わせてるなら、坑に降りる俺たちが国を食わせてるってことだろう」 「そういう理屈になるな」 「なら、今日くらいは坑を休んでも罰は当たらない」 「独立したら、坑の上の方の椅子にも、俺たちの中の一人が座るようになるって話、聞いたか」 「聞いた。信じてはいないが、聞いた」 「信じなくても、聞くだけならただだ」

仲間たちはそれぞれの調子で笑ったが、誰も本気でその日が来ると確信している顔ではなかった。ンソフワは、椅子の話よりも、今日の給金がいつも通り出るのかどうかの方が気になっていた。独立は独立として、家賃の支払日は変わらずやってくる。

笑いながらも、ンソフワの頭の中には別のことがあった。妻の腹と、まだ名前のない子どものことだった。会社は独立の日であろうと、坑の仕事を休ませはしても、住宅の家賃や食堂の勘定を帳消しにはしない。ンソフワはその朝、久しぶりに何もしなくていい時間を持て余しながら、同時に、明日からの暮らしがどう変わるのかを誰も答えられないことに気づいていた。

正午が近づく頃、産婆がンソフワの家に呼ばれた。ンソフワは家の前まで戻りかけたが、奥の部屋からは女たちの低い声が聞こえるだけで、入るなと目で追い返された。男の出る幕ではない、と近所の年配の女に言われ、ンソフワは仕方なく広場へ引き返した。歩きながら何度も家の方角を振り返った。旗の準備を眺めていても、耳は家の方に向いたままだった。

ンソフワは広場に残り、旗が下ろされる瞬間を見た。式典の司会役は、これまで植民地行政官の下で働いていた現地出身の書記官が務めていた。書記官は、慣れない様子でマイクの前に立ち、進行表を何度も読み返してから、旗の交代を告げた。それまで掲げられていた旗が下り、代わりに新しい旗が上がっていくとき、広場にいた誰もが一斉に声を上げた。ンソフワも声を上げた一人だった。何を叫んだのか、後になって思い出せなかった。ただ、隣にいた見知らぬ男と肩を組み、旗を見上げていたことだけは覚えていた。広場の端では、会社の白人管理職の何人かが、腕を組んでその様子を見ていた。誰も彼らに声をかけず、彼らも群衆の中には入ってこなかった。旧行政官の建物には、まだ植民地時代の紋章が壁に残っていて、その下を新しい旗の色が通り過ぎていく様子を、ンソフワは少し離れた場所から眺めていた。紋章を今日中に外すのか、それとも明日以降になるのか、そんな話し声が聞こえたが、答えを持っている者はいなかった。

旗の交代が終わっても、広場の熱気はすぐには冷めなかった。楽団が音楽を奏で始め、人々は踊り出した。ンソフワはその輪に加わらず、広場の端に立って、家の方角ばかりを見ていた。仲間の一人がンソフワの肩を叩き、今日くらい落ち着けと笑ったが、ンソフワは笑い返すだけの余裕がなかった。空の色が変わるたび、そろそろかと思い、そのたびに何も起きないまま時間だけが過ぎた。

歓声が一段落した頃、ンソフワの家の方角から、別の声が聞こえた。近所の女が走ってきて、ンソフワの肩を叩いた。

「生まれたよ。男の子」

その頃、奥の部屋では、ンサンサが痛みの合間に短く息を吐きながら、天井の梁を見上げていた。近所の女たちがそばに付き添っていた。外の歓声が壁越しに響くたび、ンサンサは痛みとは別の意味で息を止めた。自分の母親も、ここから遠く離れた村で、同じようにして自分を産んだのだろうとンサンサは思った。母の顔は、もう何年も見ていない。産むという行為だけが、会ったこともない祖母から、ンサンサ自身の手のひらまで、途切れずに続いてきた綱のように感じられた。ンサンサはこの子が、五体満足で、大きな声で泣くことだけを願っていた。名前のことも、独立のことも、その瞬間は考える余地がなかった。

ンソフワは走った。会社の宿舎が並ぶ通りを、独立を祝う人波の間を縫って走った。途中、通りすがりの一人に背中を叩かれ、独立おめでとうと言われた。ンソフワは礼を言う余裕もなく走り続けた。家に着くと、手伝いに来ていた近所の女性が入り口で汗を拭いていて、ンサンサは奥の部屋で子どもを胸に抱いていた。子どもは小さく、皺だらけで、声を上げて泣いていた。ンソフワは戸口に立ったまま、しばらく動けなかった。

「見て。今日生まれた」 「今日、生まれた」

ンソフワはその言葉を繰り返すことしかできなかった。ンサンサは子どもの顔を覆っていた布を少しめくり、ンソフワに見せた。手伝いに来ていた女性は道具を片づけ、ンソフワたちには構わず先に帰っていった。近所の女たちが入れ替わりに顔を出し、ンサンサの様子を見ては、一言二言祝いの言葉を残して去っていった。部屋の中は次第に人で埋まり、外の歓声と、部屋の中の小さな話し声が、しばらくの間、同じ大きさで響いていた。

「名前は」 「まだ決めてない。数日待つのが、うちのやり方でしょう」 「分かってる。でも、今日という日は、覚えておかないと」

ンソフワは子どもの小さな手に、自分の指を近づけた。子どもの指がその指を握った。ンソフワの父は、ンソフワが十二歳のときに坑内の事故で死んでいた。事故そのものについて、ンソフワは多くを語らない人間だったが、その日以来、ンソフワの中には父の不在という形の穴があり続けていた。ンサンサはそのことを知っていた。

「お前の父さんのことを、考えてるんでしょう」 「考えてる」 「今日は、失くしたものの日じゃない。得たものの日にしたい」 「両方でもいい。両方でしか、うちには言えない」

ンサンサは何も言い返さず、子どもの額に軽く口をつけた。外の通りでは、太鼓の音がまだ続いていた。ンソフワは妻と子をしばらく二人にして、外へ水を汲みに出た。井戸端では、同じように子を持つ女たちが集まり、独立の話と出産の話を同じ調子で交わしていた。ンソフワはその輪に加わらず、桶に水を満たして家へ戻った。

帰り道、隣の一家の前を通りかかった。隣家の男には、十歳になる娘がいた。娘は父親の手を引っ張り、新しい旗の色を指さして「なんで色が変わったの」と聞いていた。隣家の男は答えに詰まり、しばらくしてから「悪い意味じゃない」とだけ答えた。娘はその答えに納得したのかしないのか、また別の色を指さして走っていった。ンソフワはその様子を横目に見ながら、自分の子がいずれ同じ問いを口にする日のことを、ふと考えた。

ンサンサは、子どもと二人、しばらく横になって過ごした。近所の女たちが入れ替わりで顔を出し、粥を運んできたり、洗濯物を代わりに引き受けたりした。誰も長居はせず、一言二言、祝いと労いの言葉を残して去っていった。ンサンサはその一つ一つに礼を返しながら、この町の女たちが、自分が知らないうちに何人の子の産後を、こうして黙って支えてきたのだろうと思った。

その日の午後、日差しが強くなり、通りの土埃が乾いた匂いを立て始める頃、ンソフワは近所の慣わしに従い、生まれたばかりの子を抱いて、会社が運営する社交クラブの前まで歩いた。子どもは眠っていて、ンソフワの腕の中で時折小さく身をよじった。歩きながら、ンソフワはこの子がいつか自分と同じ道を歩き、同じクラブの前を通り、同じように誰かの子を抱いて歩くのだろうかと考えた。想像はそこから先に進まず、ンソフワは考えるのをやめて、足を速めた。クラブの建物は、坑内労働者たちが仕事のない日に集まる場所で、その日は独立を祝う酒宴のために扉が大きく開け放たれていた。バーの中からは音楽が流れ、外の広場にはテーブルが並べられ、会社の白人職員と現地の労働者が同じ列で祝杯を交わす、普段は見ない光景があった。テーブルの上には、会社が用意したビールの瓶が並び、持ち込まれたラジオからは式典の中継が流れ続けていた。

バーの窓越しに見える店内では、壁に据え付けられたラジオの周りに人だかりができ、客の一人が式典の様子を実況する声を真似て笑いを取っていた。カウンターの奥には、独立を記念して特別に用意されたという横断幕が下がっていて、文字は少し曲がって貼られていた。ンソフワはクラブの中には入らなかった。生まれたばかりの子を、酒と煙の充満する場所に連れて入る気にはなれなかった。代わりに、クラブの外の階段に腰を下ろし、子どもを膝の上に乗せて、遠くから宴の様子を眺めた。同じ坑の仲間たちが、ンソフワに気づいて外まで出てきた。

「生まれたのか」 「今日」 「独立の日に生まれた子か。会社の名前が変わるのと同じ日に、お前の家族も増えたわけだ」 「そういうことになる」 「いい話じゃないか。この子の代には、会社も国も、もっと良くなってるはずだ」

仲間の一人がそう言って、子どもの小さな頭をそっと撫でた。ンソフワは、自分の父もこうして誰かの子を撫でたことがあっただろうかと考えた。父の顔は、もうはっきりとは思い出せない。覚えているのは、坑から上がってきたときの父の手の大きさと、その手についた鉱石の匂いだけだった。父が死んだ日、ンソフワは学校から帰る途中で、会社の使いの男に呼び止められた。使いの男が何と言ったかは、もう思い出せない。ただ、それから何日か、家の中の誰も坑の話をしなくなったことだけを覚えていた。別の仲間が瓶を掲げ、ンソフワにも一口だけ勧めた。ンソフワは子どもを抱いたまま、瓶を受け取らずに首を振った。

「今日くらい飲めよ」 「子を抱いたままじゃ、こぼす」 「なら置いてから戻ってこい」 「戻らない。今日は、これで十分だ」

クラブの中では、会社の白人技師の一人が、現地の坑夫頭と並んでグラスを合わせていた。普段はあまり見ない組み合わせだった。この光景が明日からも続くとは、ンソフワは思っていなかった。それでも、その場に立ち会えたことだけは、覚えておこうと思った。

階段の隅に、坑で三十年働いてきた年配の男が一人、誰とも話さず座っていた。ンソフワが会釈すると、男は瓶を持ち上げず、低い声で言った。

「旗が変わったところで、坑の深さは変わらん。今日だけは忘れていい話だ」 「そう言わずに、今日くらいは」 「わしは今日でよく祝った。明日からは、また同じ深さまで降りる」 「その子には、違う明日が来るといい」 「来るかもしれん。来ないかもしれん。どちらにしても、その子の代でも坑に降りる人間がいることに変わりはない」

年配の男はそう言うと、ようやく瓶を口に運んだ。ンソフワは何も言い返さず、ただ子どもを抱く腕に少し力を込めた。年配の男はそれ以上何も言わず、視線を宴の方へ戻した。その横顔には、祝いの輪に加わりきれない疲れのようなものが浮かんでいたが、ンソフワはそれを指摘する言葉を持たなかった。

ンソフワはその言葉に頷いたが、頷きながら、頷くこと以上のことは言わなかった。会社がこれからも今のままであり続けるという保証は、誰も口にしていない約束のはずだった。それでも、その日その場にいた誰もが、その約束が交わされたかのように振る舞っていた。住宅も、学校も、社交クラブも、坑が続く限り会社が用意する。子どもたちはその中で育ち、大人になれば坑に降りる。それが、その日ンソフワの周りにいた男たちの誰もが疑っていない未来だった。

日が傾き始める頃、ンソフワは子どもを抱いて家に戻った。ンサンサは疲れて眠っていたが、ンソフワの足音に気づいて薄く目を開けた。

「クラブはどうだった」 「賑やかだった。中には入らなかった」 「なんで」 「この子を連れて入る場所じゃないと思った」 「いつか連れて行くの」 「いつか、坑に慣れた頃に」

ンサンサは小さく笑い、また目を閉じた。ンソフワは子どもを妻の隣に寝かせ、しばらくその寝顔を見ていた。子どもが増えれば、配給される住宅の広さも、いずれ見直しの対象になるはずだった。ンソフワは頭の中で、坑での等級と、家賃と、これから必要になる子ども用の品々を、順に数え始めた。数えても答えは出なかったが、数えること自体が、この日をただの祭りの日で終わらせないための、ンソフワなりのやり方だった。窓の外では、まだ太鼓の音が続いていた。新しい国旗が、会社の敷地の外れに立てられたポールの上で、夕風に揺れていた。

夜、ンソフワは寝床の中で、ンサンサに小声で切り出した。

「名前のことだが、俺の父の記憶にちなんだ名をつけたいと思ってる」 「創造する者、っていう意味の名でしょう。あなたが前に言ってたやつ」 「覚えてたのか」 「何年も前から、あなたがその名を胸に持ってるのは知ってた」 「年長者たちには、変な顔をされるだろうな。独立の熱狂の日に生まれた子に、創造する者の名は出来すぎだと」 「出来すぎでも、あなたの父さんが作れなかったものを、この子が作りに来たと思えるなら、それでいい」 「会社の書類のための英語名も要る。ピーターでいい」 「ピーター・ムレンガ。悪くない」

数日後、この土地の慣わしに従って、ベンバ語名と英語名の二つが、ンソフワの望んだ通りに正式なものとなる。会社の住宅管理事務所の台帳にも、ピーター・ムレンガという名が書き加えられ、判が押される。だがそれは、まだ数日先の話だった。この夜、決まっていたのは、ンソフワとンサンサの二人だけが知る、一つの名だけだった。

太鼓の音はようやく止み、通りは静かになっていた。会社の敷地の外れで、新しい旗がポールに巻きついたまま、風に小さく音を立てていた。ンソフワは、朝に見た旗の交代の瞬間を思い出そうとしたが、歓声と熱気の記憶ばかりが先に立ち、旗そのものの形はもうあいまいになっていた。確かなのは、隣で眠っている子どもの重さと、その重さがまだ誰の台帳にも記されていないという事実だけだった。

独立の熱狂は、この家族に、会社と国がこれからも今日と同じように在り続けるという約束を残していったように見えた。だが約束を口にしたのはンソフワたちの周りの誰かであって、会社でも国でもなかったことに、その日、気づいた者はいなかった。ンソフワは名を記す前の白紙の紙切れを一枚、家の柱に打ちつけた古い釘に、そっと引っかけた。旗の色よりも先に、色褪せることになる一枚の紙切れ。


チェーホフ台帳(本日分) 仕込み: #1 父ンソフワの「会社への誇り」という前提(一日目分。会社城下町の風景と坑への忠誠心を提示。二日目でさらに明示化予定) / #3 「ゆりかごから墓場まで」の企業福祉(住宅・診療所・学校・社交クラブの存在を提示。二日目で完成形を仕込む予定) — いずれも計画通り、または前倒しで着手。回収は台帳の予定日程どおり。